2006年11月26日

ある商売 2

以前 書きましたが露店で安い衣類を売る商売ですが 今回 戛洒の隣の水塘鎮の市に行くという事で手伝い?として一緒に行ってきました。

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この市は近くの鎮を持ち回りで 水塘-> 戛洒-> 腰街  と周っています
で戛洒が1と6の付く日に開催されます。ですから出店する側もそれに合わせて移動するわけです。今回 商品を運ぶ車に前日の夜に届け、開催日の朝 6時頃出かけます。市はそんなに早く始まらないのですが 早く行かないと良い場所はとれません。そして8時頃になると近所のお客さんがやってきます。
私はゆっくりと乗り合い小面包ででかけました。

商品を運ぶ車を自分で持っていればある程度の利益は出ると思いますが車を購入する費用と維持費が日本以上に高く車を持っている人はほとんどいないようです。小面包の車両費が4万元 維持費が4千元/年ぐらいとの事です。油費は別です。

露店2.jpg

1枚5元の衣類ですが今は同業者が多く 良い商品でないとなかなか売れません。
それでもいつも数人程度のお客さんが店頭にやってきて少しは売れるようです。突然 男性が大声を出してやってきて「ここの商品は日本製なのか」と言うのです。私がいるから売っているものが日本製だと勘違い男でした。5元で日本製なんて事はあるわけではありませんので結局すごすごと帰っていきました。
私がそこへ行ってから1時間ぐらいでそういう事になったわけですから戛洒でも私に対して裏では何を言われているか判りません。

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お昼のご飯は交代で近くの快餐店に2人で行ったのですが3元でした。
しかしなかなかディープな不衛生さがある所でした。・・・
午后3時 お客さんも途切れてきて撤収です。トラックに商品を積んで私達は乗り合い小面包で戛洒へ戻りました。この日の売り上げが250元ほどでまあまあ。

露店4.jpg

翌日 一緒に快餐店に行った2人は見事にお腹を壊しました。私はそれから3日間ビービーで、少しは痩せて良かったかもしれません。安いからといって快餐店で食べるとお腹を壊す事は以前から経験しています。快餐店だと火が通ってから時間の経っているものが多く冷えています。そのせいでしょうか?

水塘鎮が終わり、翌日が戛洒鎮、そしてその次が腰街鎮です。腰街鎮はあまり売れないそうですが、それでも春節の時にはかなり売れるそうでその場所取りの為にも売れなくても出店は続けるとの事です。
戛洒の歴史が書かれているものを見るとやはれ戛洒のこの定期市は大きく県城につぐ規模だそうで 5元のお店も戛洒の売り上げが一番多いようです。
posted by むりー at 11:52| Comment(0) | 雲南の人々

2006年11月25日

「雲南の照葉樹のもとで」 1982

この本は古い本です。 日本放送出版協会 \2,200

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日本で雲南に最初に学術調査に入った時の記録だそうです。それ以前に観光客が入っていたそうですが それよりも遅れて入ったようです。
場所は昆明と西双版納と広西です。これを読んでいると当時、正式に雲南に入った場合は昆明と石林だけが外国人に開放されていてその他は受け入れ単位が必要との事。そして移動途中の撮影が不可、当初は景洪市街のみ可で郊外は不可のところを交渉して農村部に行けたとの事です。民泊なぞとんでもない時代だっようです。

この時には昆明から景洪まで車で2日ぐらいだったようですが、1950年雲南開放以前は車の道路が無く1ケ月も掛ったそうです。今ではほとんど高速道路が出来て7時間だそうですが まだ思茅から景洪までは車で行った事が無いので未体験です。

こんな時代に比べ今は辺境(国境の事です)以外はほとんどの場所に自由に行けますし、民泊も許可を得れば可能となりました。中には何ケ月も一般民家に泊っている強者もいます。私が戛洒で体験している事なぞ、この当時に比べれば自由という言葉がぴったりだと思います。
ただ ビデオ関係の規制は未だに厳しくこの点だけは当時とそれほど変わっていないようです。(業務/放送用のビデオカメラについてです。家庭用ビデオカメラは ほぼ自由です。)


この頃はamazonで中古の雲南関係の本を取り寄せて読んでいます。もう絶版になったものも在庫があったりで今まで読めなかったものが読めます。
posted by むりー at 17:37| Comment(0) | 雲南の人々

戛洒住宿登記 大変でした

戛洒鎮は、今年 雲南十大有名鎮に選ばれたようです。やはりこの風情、地形、タイ族の暮し、雲南の中でも素晴らしいものがありますからそれを理解される事が将来きっとあると思っていました。
その魅力に曳かれ部屋を借りたのですがそこへ滞在する為には住宿登記が必要です。今までは招待所に泊っていて、自分で派出所に行ってしていたのですが手続き的な問題はありましたが 今度は民家の部屋に滞在します。困難は予想していましたが やはりなかなか大変なものがありました。以下はその顛末です。

今年の5月に戛洒で新しい建物の部屋を知り合いの名前で(干女)借りたのですがそこへ泊る為に住宿登記をしたのですが、結局 干女の旦那と4回も通いやっとの事で住宿登記が出来ました。
今までの情報ですと田舎で民家に泊る時は泊める側の人間が公安まで同行すれば可能と聞いていましたので 私の名前では部屋を借りず干女の名前で借り、なんとか室内は住める状態にしましたので 今回初めて大家さんの娘と共に派出所で出向きましたが 民家に外国人を泊めるのはこの鎮では決定出来ないという事で拒否され、県の公安局まで行けと言われました。しかし県城まで行くとなると1日がかりです。

どうも担当者の口むき、雰囲気からするとやたら外国人に住宿登記を認めて何かあった時にその公安が追求されるのでしょう。
その後は 余所の場所では出来るのだからと干女の旦那(ある村の村民委員会の一人)が掛け合ってくれていざ 登記可能となりましたが 私のパスポートを出して登記をしようとしたら今度は15日以内の訪中で ビザ無しが問題となり 今度も駄目でした。しかし その派出所では過去に女性公安に 私が駐日中国大使館のホームページにあった中文の日本人の15日以内の滞在はビザ不用の部分をコピーして渡して読んで貰い 招待所等で宿泊した場合の住宿登記が可能でした。その記録も残っているはずです・
そのコピーをまだ私が 持っていましたので翌日また干女の旦那と一緒に行って渡しやっと 一般民家での住宿登記が出来ました。もし仮に滞在先が私の部屋という事だったら不可能だったかもしれませんので、用心は役にたったようです。
結局 住宿登記の担当者の能力や知識で可能、不可能が決まるようで15日以内のビザ無しでも問題無い事を未だに知らない田舎では普通の事のようです。今回は 説得力のある人に4度も公安と掛け合ってもらってやっと登記が出来ました。干女の旦那には始めて御世話になったような気がします。私が「非常感謝」というと そういう感謝はいらないと言うのですが 私が御世話になった時に口にするのでこの頃はそう言っても何も言われないようにはなりました。

そういった口にする事、口にしない事の習慣は民族や地域によって違うわけですが この頃は干女とその家族とも付き合いが長くなり、お互いにその習慣を合せるようになってきています。感謝を口にするのは面子の問題もあるようですが 親しいほど口にしないから親しいほど口にする常態に干女の家族とはなってきています。

駐日中国大使館
http://lsb.china.jp/chn/qzdl/fdlnew.html

外国人がめったに泊る事の無い田舎に行かれる方は招待所等に泊る時にはこのコピーを持参される事を御薦めします。
このページだけでなくトップページも一緒に持っていた方が良いでしょう。

そして結局11日ほど泊ってきました。予想どうりというか 端からいろいろな物が壊れてきてそれの修理もかなりの仕事でした。
家電品の不良率はかなりのものですし、修理しようとしても不可能な事が多く1年保証など無効な事あり、田舎と都会の差を実感しました。

次は1ケ月ぐらい滞在したいと思いますが 今の臨時住宿登記ではマズイような気がしますが どうしたら良いのでしょうか?
posted by むりー at 16:47| Comment(0) | 戛洒紹介

2006年11月20日

「雲南の妻」

「雲南の妻」 村田喜代子 講談社 

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小説です。西双版納に商社の駐在員として夫婦で住み 通訳の女性と夫の少数民族とのお茶の契約の為に 女性同士の結婚をする話です。
地名はかなり正確に書かれてますが位置関係と民族名はかなり作られています。
amazonの書評にあるように雲南のまったりとした風俗や人間関係は私が感じているものに近いものがあります。摩梭人の通い婚なども出てきて雲南の多様な結婚形態を小説というスタイルながら表していると思います。
雲南は中国であって中国ではないという事を改めて感じます。
そんなまったりとした女性同士の結婚なのですが最後が流行っている肝炎にその駐在した女性がかかり困難な環境の中で上海−日本と移動して治療を受けるが同時にそのフイ族の通訳の女性と別れてしまうという事になります。現地で衛生環境は相当に注意していたのに調理に使っていた包丁を、現地の水道水で洗っていた事が原因となって肝炎になったという設定です。
(私もこの危険性は忘れていました。)

この本は雲南の現実にありそうな面と現実にはありそうに無い面が書かれています。著者は雲南に行かれた事の無い芥川賞作家ではあるが普通の日本人作家です。その著者が雲南の関係者のアドバイスを受けながらこれを書いたわけですが そう考えると見事な内容のように思いました。
ただ 文字数が少なく2-3時間で読み終わってしまったのが残念でした。

とにかく女性が女性と結婚するという普通では考えられないような結婚形態も雲南では驚くべき事ではないように思います。雲南が共産党によって開放されるまで土匪が暗躍し、西南のイ瓦族は首狩りを行っていました。いまでも何があってもおかしくない人間関係が雲南にはあります。私が今でも強烈なタカリを受けているのもそういった過去を考えると何もおかしくはないのでしょう。


amazon
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062114593
posted by むりー at 21:46| Comment(0) | 日記

2006年11月18日

雲南農村医療保険開始 その5

今回 昆明から帰国する時に この細い帯を記念品という事で貰ってきました。貰った時にこんなに綺麗に揃っていなく 長いまま乱雑に渡されました。
帰国してよく見ると手織りの帯で巾1センチぐらい ぱっと見て変なものですが よく見ると丹精して作られたものです。織ったのは母親で、行く度にこのような手作りのお土産を貰ってきます。
商品経済の中では大した金額のものではありませんが 数メートルはあるこのお土産は心に残ります。「面倒を看てくれるのは当然」と言いながら こんなものをくれます。

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何もかも日本と異なる中国農村で日本的価値観はほとんど意味をなしません。この医療保険の文章を読まれて違和感を感じる方も多いと思います、しかしその違和感こそが雲南の田舎の実態でもあるのです。年に何度がやってくる日本人と親しくなり、その日本人に自分の病気の面倒をみてもらい、一方では面倒を看るのは当然と言い 看てくれなければ死んでしまうとも言います。どの程度の切迫性があるのかは全く判りませんがとにかくそう言います。もし私がいなければ本当に死んでしまうのか・・・・

ちょっと古いのですが中国の農村の医療の現状について書かれているサイトがありました。
http://www10.plala.or.jp/shosuzki/edit/china/ruralmed.htm




posted by むりー at 11:52| Comment(0) | 戛洒紹介

雲南農村医療保険開始 その4

ここまでで 具体的な医療保険の内容を理解して貰えたと思います。

以下はある事例です (誰かは今までの経緯で判ってしまいますが あえて書きます。)

1a 去年 ある女性が婦人科に行く為に私と昆明に行きました。昆明医学院付属病院で出会った同じ患者の女性の言に騙され 中医の病院を紹介され持ち切れない漢方薬を 買わされました。全く効きません。

1b その後今度は 昆明の大きな専門病院に行き2日ほど抗生物質を点滴しましたが 医師は1週間治療するように言ったそうですが高額な為 本人が2日で中止して帰宅してしまいました

1c それでも改善しない為 2ケ月後 再訪し8日連続投与しました
 帰宅後 県城の病院に行き その治療は騙しの医療だと医師に言われたそうです。ただその治療自体は無駄な事では無いと私は判断しています。大量の抗生物質の投与、その他の治療が実際に行われました、今は無事女の子が生れ健康上の問題もありません。 ただ 婦人科ですので症状等詳細は聞いていません。
 総額は治療費だけで1万元ほどでした。当然保険はありません


2 今年の初め ある別の女性の胸の皮膚下が一般細菌で感染し県城の病院で看てもらっても改善せず。玉渓市、昆明市に行き有効な抗生物質がある事を告げられ 処方せんを書いてもらい その薬剤をその病院で購入して帰宅、地元の鎮で十日間ほどその抗生物質を持ち込んで点滴してもらっています。治療効果あり。但し三千元ほどかかります。
 (県城以下の病院ではその薬が手に入らないそうです。)
 10月と現在(今回)と2度ほど続いています。昨日から点滴を開始したそうです。
 これも本人が県城の非農村戸口ですので保険は一切受け取れません。


感染症にもいろいろありますが とにかく感染症が異常に多いようです。そしてそれを対して納得出来る検査もせず高額な治療を行う医師もいて、現状では老百姓は何を信じていいのか判らないでしょう。納得出来なければ 患者家族が病院に殴りこみという事も起きます。
大体 3−4000元が年収の農民です。国連が規定する貧困のレベルとほぼ同じです。
病気になれば 農民は軽度な労働しか出来ませんので収入が減りますので二重苦です。結局 満足な医療を受けられず亡くなる人が後を絶たないわけです。
posted by むりー at 11:42| Comment(0) | 戛洒紹介

雲南農村医療保険開始 その3

調和社会に向けて農民の不満を解消する為か、村に水道が出来ました。
この近くの農村には基本的には井戸がありません。大概は川の水を飲んでいます。鎮の水道だけは浄水した水道のようですがその他の村落の水は川の水を貯水槽に入れてそこに蛇口を取り付けて使っています。洗濯をしたり、飲み水にしたり、食材を洗ったりとそれなり大事には使っています。私もご飯を作ってもらっている時はこの水で炊事をしたものをいただいています。
ですから 基本的にこの水の成分や衛生的かどうかは不明です。
それが今回 人民政府の費用で貯水槽から各家庭まで水道管が曳かれました。ただ水道管は地上にむき出しで道路の上に置かれたままでリヤカーやオートバイの通行が困難となりました。仕方ありませんので各家庭から人が出て地表に出ている邪魔な水道管を地下に埋設する作業が行われていました。

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ですから見かけだけの水道です、衛生的がどうかは不明です。地表にむき出しの水道管、 単に村民の不満をそらす為だけの水道のように思います。医療保険よりも先ず こういった基本的な飲料水の衛生確保の方が優先されるべきだと思いますが共産党が農民を重要視しているという姿勢表明としては意味があるのでしょう。

画像は地表に出ていた水管を地元の人で地中に埋める作業 一家で一人の参加

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posted by むりー at 11:28| Comment(0) | 戛洒紹介

雲南農村医療保険開始 その2

雲南で農村の医療保険が始り現実的な対応としては都会に出ていた人が病気になり、田舎に戸口を農村に戻し 医療を受ける事も考えられるでしょう。
また 当然の事として今まで 病院にいけなかった農民が初めて医療を受けられる事になります。これで病院に行けずに亡くなる人もある程度は減るでしょう。
今まで田舎の犠牲の上に上海や北京の社会が成り立ってきました。その不満が大きな「社会の不安定要因」となり共産党に向かっています。
その不満を解消する為に農村の医療を改善する方向は肯定したいと思います。(無いよりはマシ)

以前から書いてきたメタンガスのトイレもその一つの流れとして考えるべきかもしれません。


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前回、今回と続いて病院へ行って面倒を見てますが 病院代だけでは大概済みませんし、地域的なのか「外国人は金持ち、私達の面倒を見るのは当然」という発言もあります。そして今回は看てくれなければ「死んでしまう」と言われています。
突き詰めて考えてもそこまで面倒をみる義務はありませんが やたらほっておくと恐いものもあります。以後 何を言われるかわかりません。ただ そこまでしてタカラないと生きていけないのも現実です、
面倒をみてくれそうな人間が身近にいたらきっと**人などという区別に関係は関係なく誰でもそうするでしょう。

とにかく私にとっても医療保険が始る事は助かります。現在感染症に掛っている人が戸口が県城の非農民になっているのですぐにでも老家に戻して農民になれと言い渡しています。実際に農家で野良仕事をしています。

画像はメタンガスの家への引き込み後の処理装置です。圧力調整と何か成分のフィルタリングをしているのでしょう。

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下は農家の台所

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posted by むりー at 10:08| Comment(0) | 戛洒紹介

雲南農村医療保険開始 その1

2006年10月行

いつものように行ってきました。今回は農村の医療保険について書いてみたいと思います。知りえた事は(あまり関りたくありませんが関ってしまいました) 雲南のある農村の一例ですので全ての農村に当てはまるわけではありませんが参考にはなると思います。
こいう事を中国に滞在されている方が書くべき事だと思いますが何故か私が結局書く事になります。それだけ農村に行かれている人が少ないのでしょう。

8月に訪れた時に丁度 農村の医療保険への登録と保険の掛け金の支払いが行われていました。農民一人1年の掛け金が10元だそうです。ただ農民のみのようです。今回の訪中時もまだその登録が各地の村で行われていて 干女の旦那が村民委員会の委員ですので事務処理をしているそうです。

農村の医療保険は存在しないのと同じ状態でした。しかも一度病院に通うと年収程度が掛る事もあり、「看病難」で農民が医療を受けられず亡くなる事も多くあります。干女の父親もそうして亡くなりました。そして更に悪い事に医療費は取り放題どんな金額でもありえます。ですから不必要な過剰な医療行為もあり得ます。医療情報など接する事の出来ない農民にとってただでさえ高い医療費と騙しの医療の為に安心して医療を受けられる事は少ないようです。
先日もテレビを見ていたら医療保険が開始された地域は既に医療を受ける人の数十%ほど上昇しているそうです。

雲南での医療保険ですが 払い戻しの金額ですが 玉渓市(雲南で3番目の都市)では20%, 私が行っている県の県城で30%, 私が行っている鎮では40%の金額が戻ってくるそうです。
農村ほど貧しいので金額も大きくなっているのでしょう
ただ上限は年5千元 これは戻ってくる金額の上限なのか支払った対象の金額の上限なのかは聞き忘れました。全て農民が対象で戸口簿が基本のようです。

何回か続きます。
posted by むりー at 10:00| Comment(0) | 戛洒紹介

2006年11月17日

戛洒での暮し

農村部では一定以上の細かい地図は外国人には売らない、見せない規則があるようですが 初めてこんな細かい地図を見る事が出来ました。
しかも町の市街図として道路脇に10ケ所近くも同じものがあります。
外国人が見る事を想定していないのか、重要視していないのか・・・・
畑やたんぼ 1枚1枚が出ている地図は初めてです。
1枚目のみ 1500x1000dot

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3枚目 机とテレビ 窓から見えているのがマンゴー樹

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4枚目 冷飲店にて リンゴ汁 本物のリンゴを絞ってます1元

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テレビは結婚式の時に花嫁の荷物として行ったものですが余っているので帰ってきました。今は25インチで千元を切っていました。

干女(義理の娘)の子供も半年が経ち大きくなりました。

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posted by むりー at 20:19| Comment(0) | 戛洒紹介

元祖 赤飯

雲南の紫糯米です。
日本の白米8 紫糯米2 ぐらいの割合が丁度良いようです。
大体 通常のお米の2倍くらいの1Kgで5-6元です。
多分 日本の赤飯の元祖だと思います。

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もって帰る時に空港で植物検疫の手続きが必要でこんなハンコのついた紙を貼られます
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posted by むりー at 13:20| Comment(0) | 戛洒紹介

新しい 雲南地図冊

雲南省の地図冊が新しくなりました。
2006年新版 18元 以前のは20元ぐらいしましたので珍しい事に安くなりました。新平県の部分だけ見ると随分と情報量が増えました。B5 155ページ
中国の経済発展と共に中国の地図も段段と良質のものになってきています。

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おまけです。麗江(玉龍納西族自治県) と同市街です。

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麗江市市街.jpg

posted by むりー at 12:23| Comment(0) | 雲南の人々

たまたま結婚式3

たまたまあるいは旅行社や旅游局を通して 結婚式の模様を昆明辺りの人が撮影する事があるようですが小遣い程度を渡して終わりのようです。日本のテレビ局にしてもこういう場で撮影して なにがしのお礼をして終わりです。でも 撮ったものを渡す、送るという事をしません。面倒だからでしょうしまたそこへ行く事も無いようです。

でも私の場合、その後その場所へ行って撮影したもの渡していますので 余計タカラレ易いのでしょう。しかも新郎、新娘か並んだものは一生の記念という事で大きなプリントにして渡しています。そんな写真は大概 家の壁に貼ってあります。私のそういう行為を見て村の人がタカッテくる。日本人だったらそんな事はしませんが、中国ではタカリ易い人間にタカル。
貧しい農民が夫婦で結婚の記念に夢のような写真を撮るのが流行っていますが所得に比べ高価ですので田舎では作れない大き目のプリントを渡して少しでもその代りになればと思います。

他人の善意に付け込む。今までの経験では間違いなくそういう方向を感じました。そうでは無い人もいますが少数でした。書くまでもありませんが それでも騙しはありませんし、二度と行かないという気持ちにはなりません。騙しはありません。断れば良いのにタカラレても続けています。しかし タカリの多さは信じられないものがあります。(尚 新郎と新娘にタカラレタ事はありません。その写真を見た近所の人がという事です)

posted by むりー at 11:30| Comment(0) | 戛洒紹介

たまたま結婚式2

結婚式前の準備 牛や豚、鶏を処分します。
また犬も同じように食べます
こんな光景が婚家の回りの何ヶ所かで見られます
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結婚式と行っても実際は式に該当するものはありません。希に夫婦で嫁いだ先の両親の前で床に頭をつけて挨拶する家もありますが 少ないようです。
多くは単に参加者にご飯とお酒が大量に出るだけです。
でも大量ですから3日ぐらい続く時もあります。
一生に一度ですから 沢山費用が掛ります。

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これは結婚式のあった家の近くの家の機織りです。
家は土で出来ていて 土色の殺風景な家ですが 機織り機の織物の美しさは対象的です。
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posted by むりー at 11:25| Comment(0) | 戛洒紹介

たまたま結婚式1

花腰タイの結婚式です。

1枚目は 新郎の家に嫁ぐ新娘です。左の太りめの女性です。
   右側は伴娘
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2枚目 新郎の家の2階で新朗と新娘
   何故か写真大好きの中国人が結婚式で写真を撮る風習が無いようで私が出会う結婚式では必ず二人並べて撮って大きくして送ります。
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3枚目 4枚目   新娘が花嫁道具と共にやってきて新郎の家にやってくる時に新娘の友人がやってきて2階で一緒にご飯を食べます。 そしてすぐに新娘は実家に帰ってしまいます。
そして新郎が新娘の家に行き 夜二人で新郎の家に戻ってくるのが一般的です。
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撮影してデジカメはnikonの廉価400万画素モデルです。これでも一応4つ切り可能でした。以前はVCDを作って贈ったのですが元気無し
posted by むりー at 11:12| Comment(0) | 戛洒紹介

やはり タカリ

干女の嫁ぎ先にお邪魔して配偶者の父親と出会いました。以前 文化大革命の頃は小学校の先生をしていたのだそうです。しかし 干女と配偶者の私が持っていった太陽電池の腕時計を見て「日本の腕時計は最好」と言い出して無心をされてしまいました。作っている工場は韓国、会社は日本製なんですが。

http://jp.chinabroadcast.cn/151/2006/11/05/1@77749.htm

文盲が減っても もまだタカリが減る事は無いと思います。
進歩は確かにあります。ですがまだまだ 私達が行って日常的な付き合いをすると大きな精神的軋轢が発生するのが常です。
私がタカリを嫌がっている事を知っている干女の困った顔・・・
多分 農村の半数程度の家はこの程度のタカリがあると思います。

大昔は言葉の通じない旅人が来ると襲って殺してしまうのだと日本語ガイドが言っていました。日本人僧侶の能見寛も雲南とチベットの境で殺されています。今はタカリをする程度の心優しい少数民族との出会いがあります。
(皮肉ではありません)
posted by むりー at 11:06| Comment(0) | 戛洒紹介

帰ってきました

11月3日に帰ってきました。今回もいろいろありました。

今回は本当にタカラレルのが辛い事態になりました。「面倒を見てくれないと死んでしまう」と言われてしまってます。詳しいのは後からゆっくり書きます。
でも辛かったのは3日間だけで残りのほとんどは自分の部屋もほぼ整理され それなりに小さな幸せも感じます。全部苦しければ行きませんが苦しい部分の過激さはかなりのものですが一部分です。そして死がそこにあったりします。幸せは死と隣り合わせかも。
posted by むりー at 11:03| Comment(0) | 戛洒紹介