2007年11月02日

写真

(1) 国慶節の夜の大通り
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(2) 同 お祭りの朝 宣伝の為の行列
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(3) 偶然出くわした葬式 このカラフルな傘が珍しい
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(4) 葬式の時は若い牛が殺されます。
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2007年11月01日

また行ってきました

時間が経ってしまいましたが10月中旬まで戛洒に行ってました。
丁度 国慶節の為 観光地には行かずにずっと部屋にいましたが行っていた所自体が観光地化してしまって お客さんが沢山でした。

土産は張芸謀の映画のDVD 18枚組みです。18x6元

張芸謀DVD.jpg

たった10日間ほどでしたが物価高はかなりのもので豚肉が2倍になっていました。地元の人民政府が物権法に対応したのか地元の田んぼを召し上げ、不動産開発に走り地価が10倍ほどになり、地元農家をダシにして金儲けを始めました。おかげで地代が上がり 老百姓が土地を借りて任意の場所に家を建てる事が出来なくなり計画は挫折しました。

雲南の田舎ですら中国の流行の現実が押し寄せてきてました。
そんな現実を体験しながら 上海の派手な某大会の演出を見ていると 貧しい農民の虚無感が伝わってきたように思います。

ここを見ているような環境の中国人は知りませんが私が行く場所の知り合いは大体似たような意見です。
田舎でも金持ちは増えましたので全員が同じではありませんが・・・
posted by むりー at 14:01| Comment(0) | 戛洒紹介

2007年09月21日

やっと免許が来ました

以前から書いていた雲南の御世話になっている家の三輪モーター車
ですがやっと購入して9ケ月 免許が来て乗れるようになりました。
車両費が1万元、諸経費3千元、免許取得費1万元弱 (普通車C1)
しめて2万元を越えたようです。最初 免許の取得費は数百元という口車?にのって始ったのですが 10倍以上かかりました。
この数年でC1免許取得費は2倍になったようです。

干女はこの話を聞いて「騙されている」と言ってました。もうなんでもありですからあまり考えません。騙されているというよりタカリなんでしょう。「約束が違う」と怒ったら謝ってはいました。
こんなんわけでやたら農家でご飯を食べているとこんな事になるという見本のようです。でも たまたまそういう家庭であったようで干女の家は一切たかり無し。

私が行っている所はほとんど中国人特有の面子はありません。
尚 乗れるといっても実際は 車体が中国クオリティーですから
修理しないと走りません。

それでもやっと昨日あたりから実際に運転しているようです。
雲南の田舎で三輪モーター車を購入して免許もとって実際に乗れるまで9ケ月費用が2万元を越え、疲れました。本人はもっと疲れた
ようで何度も 「いらないから返す」と言ってましたがやっとです。

posted by むりー at 10:00| Comment(0) | 戛洒紹介

2007年08月29日

中国のアメダス

下記のサイトは雲南省玉渓市内の鎮、郷までの1時間毎のオンラインの雨量データです。
雲南の度田舎でもこういう仕組みになっていました。

とにかくこのシステムには驚きました。部分的にはかなり進んでいる面もあるようです。私が行っている所はこの値が3桁になれば泥石流が起きるように思います。

http://220.164.109.189/myindex.asp?zh=56875
posted by むりー at 20:10| Comment(0) | 戛洒紹介

2007年08月27日

下記サイトの機械翻訳です (部分)

大きいビンロウジの園
タイ族の家は流れる水に従って歩いて、花腰タイは同様に水と難しい解の情の縁を持っている。すべての村はすべて山も水源もあるので、緑の樹が木蔭をつくっていて、水稲、サトウキビ、マンゴー、レイシ、バナナ、パイナップルなどの作物が成長するのは生い茂っている。花腰タイが万物を信奉して魂があって、1石の1草、1が一木を使うのはすべて彼らの崇拝の対象だ。そのためタイ族のとりでの中で、果樹の成蔭、鳥のさえずりと花の香り、全くの自然の調和がとれているもとの生態の光景。
朝ご飯を食べたことがあって、あぜが縦横に走っている田野を通って、私達は大きいビンロウジの園村に来る。全体の村は酸角木、芒果樹、レイシの木と攀枝花の木の構成の林の中で引き立たせ合う。花腰タイの住宅、西双版納のタイ族の家の竹製の家と違い、独特の風格がある田舎くさい土掌房の部屋で、このような“1階の1底”の平らな屋根の家屋、上の階は人に居住して、階下は家畜を飼育して、造型は非常に奇抜だ。村を横切って、元江辺に着いた。広々とした砂浜、高くて大きい攀枝花の木、もうもうとした南の流れる江水、両岸の緑色の山並み、稲田、蕉林、果樹園、ある常にぱっと現れるタイ族の家の女性、1枚の絶妙な絵巻を構成した。
民族文化の生態の旅行村として、大檳榔園村は観光客が必ず訪れる場所で、毎年の花街祭の催しの地だ。村の中の組織する女性達、ふだん観光客のために花腰タイの各種の風習を展示して、含む絹織物、刺繍、は歯を染めて、入れ墨をして、運のよい話、さらに村民達が竜樹などに弔いをして活動を見る。歯を染めるのは以前は見たことがなかったので、2位のお姉さんは1種が“麻ma”の藤本植物の果実の女の子に絶えず咀嚼させることを取り出して、彼女たちは普通は13、14歳まで(へ)歯を染めることを始める。毎日このような果実を食べて、歯はゆっくりと黒色になる。入れ墨をするように、暗い歯は花腰タイの女性の美しい1種の装飾で、歯の女の子を染めていないで、縁組みはすべてとても困難だ。村の中でさらに唐臼、碾き臼、水力の米つき臼、水力を利用した臼、水車を利用した臼、加水分解の板、牛をつき砕いてあめなどの民間の働くツールを搾ることを見て、大多数はすべて今なお使う。
大きいビンロウジの園は57戸の人を共有して、295人、1つの花腰タイの集まり住む村で、とりでの中人は今なお“男性が耕して女性が編む”の田園の生活に続いて、農閑期まで、男子は猟をして魚を持って、女性は紡ぎ織ることを与えて衣服を編んで、クロスステッチして刺繍して、彼らは協力を生産して、生活して互いに助け合って、団結は共存して、むつまじい相居、歴史が長い民族文化を創造して、伝統の悠久の民間工芸を持っている。ここは居住するの花腰タイの中の「タイ洒」で、伝説の中で彼らは雲南の王室の後裔だ。雲南国が漢朝に征服されるため、雲南国の人民は南へ移動して、大部分の人は版納に行って、王室はここまで歩いてついて、ここの美しいことに引きつけられて、残した。花腰タイの独特なアパレル、当時の王室の身なりで、私達は2000年の前古の雲南国の姿を探し当てることができる。

花街祭
花街祭は花腰タイが最も盛大で情趣の伝統の祝日を満たすので、戛洒の花街は毎年の旧暦の2月の第1うし年生まれである日だ。この日は小さく少しの達最も美しい一日に卜をするのだ。ふだん彼女たちはすべてとても少なく民族のアパレルを身につけていて、花街祭だけあって、彼らに思いきり美しい一日を言いふらさせて、彼らが愛情と幸せな日を求めるのだ。
花街祭の由来はこのような伝説がある:古代に、戛洒大きな川の中に1頭の凶悪な竜がいて、いつも波風を起こして、田園に流される。それはタイ族の家に毎年ひとつもし花が玉の少女を投げて入江の中でそれに妻をするならばを選出するように求めて、やっと天候が順調であることを守る。さもなくば大いにする水害、人民が安心して生活できない。生存を求めるため、タイ族の家は苦痛に耐えて涙を浮かべて、毎年1つの最もきれいなことを選出して少女を水の中に入る。1年あって、1人のタイ族の若者の婚約者を選んで大きな川を投げにいく。愛する人のために蹂躪を受けないで、彼は鋭い刀を鋭く磨いて入江の中で凶悪な竜搏闘を跳んでと、凶悪な竜を殺して、自分の婚約者に救って下きた。人々はこの青年に対する忠節を守る愛情を記念するので、毎年のこの日すべて河辺まで(へ)花街に急いで、祝日を形成した。
花街祭のこの日、小さく少しの達ニワトリに卜をしてぼうっと起きて、火をたいてご飯を作って、ごちそうが花街に連れて(持って)きて小さくものともしないで味わうことに卜をすることをプレゼントすることを準備する。朝ご飯を食べたことがあって、おばさんは娘に容姿端麗で有能をすくように助けて、祝日の立派な服装を着て、下げて銀のzhuo、銀の指輪、銀の鎖などの装身(装飾)具をきちんと付ける。うまく包む粘り気があるご飯、をタウナギにしてとアヒルの卵を塩(みそ,醤油)漬けにして、娘に入れて腰の間の苗の竹かごの中で組んで、ニワトリのシュロの帽子を付けて、扉の外に送り届ける。両親は関心を持って手のビルの屋上に上がって、娘と小さい連れ達がとりでの外に出て行くことを見送って、若い女性の統率のもとで、花街に向って歩いていって、女の子が思いどおりになる娘婿を探し当てることができることを望む。どの塀(柵)で囲った集落のが小さく少しの誘惑のに卜をするのが小さく卜をしてものともしない多くて、その塀(柵)で囲った集落は美しい評判がある。
立って街の側ですでに長いのが小さくものともしないこと達に卜をすることを待って、手に愛する人にプレゼントする贈り物を持って、精神を集中して目の前に歩いたことがある小さい“卜が少ない”の隊列から注視している。あるもの意中の人が他の人に受け取っていかれることをひどく恐れる;あるもの目がくらむことを見て、過ちを認めた対象、そそっかしく突進していって、小さく卜をするへ少しの苗の竹かごの中でしるしとなる品物を送る;ある若者は対象がなくて、花街まで(へ)選びにきて、ひとつどれが気に入って花のお願いする竹かごの中でへ贈り物を送る。
小さく少ないことの表面のやさしさに卜をするのがはにかむが、心の中は非常にきめ細かくて、彼女たちはニワトリのシュロの帽子の半分を利用して顔を遮って、目は贈り物をしにきたことを見てみて小さく卜をしてものともしない。よくて男性の青年が贈り物を送りにくることを約束するのではない、礼儀正しく男性側を返すことができ(ありえ)る;小さく卜をするのが少しの対象のがなくて、贈り物をしにくる若者が気に入って、贈り物を受け取ることができ(ありえ)て、振り返って見てにっこりと笑って、男性側はすぐ引き続き行くことができる;小さくもし卜をするならば少なく贈り物の若者に送ることに気に入らないで、若者はあくまで筋を通さずに強弁して、彼女は届けに来る贈り物を地の上で投げることができ(ありえ)て、意外にもよける。若者は気がきいて贈り物を拾うほかなくて、別の女の子を探して求愛しにいく。
ひとペアずつの青年、2人いっしょにホウライチクの林に入って、大きい青樹の下に来て、ひそひそ声で話して、心の底を打ち明けて、ありまた小さな声でラブソングを歌っている。小さく卜をして少なく苗の竹かごの中から細いひごの弁当箱を取り出して、1が若者にあおぐことを手渡して、共に自分の自分の手でした食事を味わう。お互いにおいしいえさをやることを相手の口の中まで(へ)、情は濃くて、互いに結婚の契りを結ぶしるしとなる品物を贈って、長い間別れたくない……
夜まで着いて、小さくものともしないこと達に卜をしてまだ蛇皮線を弾けて、懐中電灯を照らさなければならなくて、だから女の子に対して音声がない呼びかけを行う。女の子達は蛇皮線の音を耳にして、懐中電灯のきらめく明かりを見て、若者達が情を探しにくることを知っていて、そこで三三五五村外と若者達まで(へ)会うことを約束して、彼女たちの1は若者達が笑わせて歌うことに会う:
卜はものともしないで、
あなた達の蛇皮線の音は私達が心が動いたことを耳にして、
あなた達の懐中電灯の光は私達が心がむずむずしたことを見て、
しかしあなた達が見物して歩きにくるのであることが分からない?
やはり心から愛している卜を探しにくるのが少ない?
もし見物して歩きならばにきて、
私達はあなた達に来てと付き合う;
もし情を探しならばにきて、
私達はあなた達に来てと遊んで、
この楽しみの逍遥している夜で、
はにかんでも要らなくないでくたさいはにかむ

私の見た戛洒はひとつが愛情と美しい地方を言いふらすのだ。
posted by むりー at 18:21| Comment(0) | 戛洒紹介

戛洒の旅行社による紹介

昆明の旅行社による戛洒の紹介です。中文です。

http://www.yunnantourism.com.cn/show.aspx?aid=3997

この中に私が行っている村の紹介も載っています。
しかし出だしの美辞麗句はあまりにも美化しているように思います。これほど美化をするというのは中国の文化なのでしょうか?
あまりにも実態と離れています。


posted by むりー at 18:14| Comment(0) | 戛洒紹介

2007年08月18日

花腰タイ 昆明の旅行社が紹介(日本語)

昆明の日本人を対象にした国際旅行社が花腰タイを紹介しています。
日本語サイトとしては初めてではないかと思います。

http://www.kankanunnan.com/view.asp?id=406

簡潔にまとまりもよく紹介しています。田ウナギの紹介もありますが この頃はこれでよくご飯を食べています。
今年も国慶節は 牛肉の内蔵料理をメインにした「湯鍋節」が開催されます。
posted by むりー at 21:46| Comment(0) | 戛洒紹介

2007年08月16日

車の免許 その後

戛洒に置いてきた三輪モーター車に乗る為に車の免許をとる話の続きです。結局 普通免許をとる為に現在 戛洒と県城の新平を行ったりきたりしながら毎日 運転の練習をしているようです。
この練習の仕方が独特のようです。1台の教練車があってそれが個人持ちで、指導員の持ち物のようです。新平で学科試験に合格した人が何人か集まると戛洒にその指導員と車がやってきて全員で練習が始ります。練習は全て路上で行われ、近くの町へ行ったり来たりします。
新平の県城にも行って交通警察で何度か実技試験があって、その試験と練習が繰り返され2-3ケ月で免許取得が可能のようですが、下手なら試験は受け直しとなり、時間は延びていくようです。
この指導員には3千元ほど支払ったそうです。そして新平に行った
時のご飯や宿(何日も泊る事になる時もあります)も費用としてかかりますので総計6-8千元ほどかかる模様です。

結局 三輪モーター車の購入費用が丸ハンドルが良いという事で倍の費用が掛りました。そして丸ハンドルの為に免許は普通免許が必要となり 三輪モーター車の免許ですと数百元で済むはずが 数千元ほどかかるようになりました。私としては「騙された」という気がしないではないのですが、本人は生き方として「調べない」のでしょう。それでこういう事になりました。騙されたという言い方が適切でなければやはりタカラれているのでしょう。

納得出来る返事がなければ もうお邪魔しないつもりです。干女が免許をとった時はこんな事はなく玉渓まで自分の判断で行き 自動車学校に寄宿しながら免許をとってきました。 費用も当初渡した時の費用で全て済ませましたからきちんと調べて私に告げたようようです。文化程度は同じなのですが性格が違うようです。

戛洒の人々の優しさというのはあると思いますが ノンキな生き方なのか いい加減というか・・・・・
posted by むりー at 21:01| Comment(0) | 戛洒紹介

2007年08月07日

小学校での踊りの練習

民族衣装がどうもぴったりきませんが これは小学校で子供達が地元の踊りを練習した後の姿です。衣装は練習用です。

この画像はこの子の親に無理やり撮らされたものです。たらーっ
化粧が厚く素っぴんでは誰だか不明だと思いますのでマスク無し
です。

隣のIE.jpg
posted by むりー at 07:50| Comment(0) | 戛洒紹介

2007年07月09日

三輪モーター車 その後

今年の1月に購入した三輪モーター車はいまだ戛洒のご飯を作ってもらっている家の隣に置いてあって腐りかかっています。
家の入口をもう一つ作ってこの三輪モーター車の出入り口にしてありました。

三輪a.jpg

しかしこの車を運転するには普通車の免許が必要だという事がやっと判明して免許取得費が数千元ほどかかるようです。
だれが払うのかというと私しかいませんので・・・・
この点についてはかなり怒りましたら珍しく謝っていました。

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三輪モーター車は普通ハンドルがオードバイのものですが贅沢を言って丸ハンドルのものを購入したのが あだ となりました。これだと免許の種別で C4 というタイプが必要で普通の三輪車だと免許取得が容易な D ですが、それでは駄目なのだそうです。( D の取得費用は数百元)

C4 も 普通免許にアタル C1 も免許取得費が同等なので C1 という事になりました。

泥沼です。このままで行くと乗れるまで1年ぐらいはかかりそうです。向うもタカラなければならない経済的状況ではあるのですが・・・・・
昨日も電話が掛ってきて 更に泥沼の内容でした。

追。 以前 干女が同じ免許をとった4年前は3−4千元程度で取得出来たようですが今はその倍程度かかるそうです。
雲南の農村でもあらゆる物価が上がっています。

雲南の優しい人々との交流も 度を越したタカリに合うと堪らないものがあります。
この家庭とは縁を切りたいと思うのですがなかなか終わりません。
その話を干女にすると「別離は駄目 少しは付き合いなさい」と言うのです。干女の嫁ぎ先の隣の隣の家がこの家の母親の実家です。もし行かないようになると干女が何かを言ったのかという事になります。
濃厚な農村の人間関係・・・・・ 日本の農村と似たものがあります。同じ村の人々、街の人々、公安も含めて私を見ています。タカリは強烈ですが優しい人が多いと思います。
posted by むりー at 00:00| Comment(0) | 戛洒紹介

2007年07月08日

結婚その2

何故 漢族のアンチャンが花腰タイの民族文化を尊重しない恐れがあるかという事でずが

普通 日本人で婿とりの場合結婚式、披露宴は婿入りする家が主導権があると思います。まず婿入りする家の日程で披露宴をするのが普通でもし 新郎の実家がまず式、披露宴をするのは珍しいのでは。
それを今回、新郎が決めてまず新郎の実家で行なうのだそうです。
その後 婿入りする花腰タイ族の家で行なうのだそうです。
ご飯を作ってもらっている家の父親、母親も優しい人ですから反対はしなかったのでしょう。でも内心は判りません。

やはり日本人と雲貴の多くの少数民族はやはり共通する考え方があるのだと思います。それに引き換え・・・ 書かなくても・・・
優しく声の小さい人間は どこでも同じ悲哀を感じるのかもしれません。よく漢族の男性の元に少数民族の女性が嫁ぐというのはありますがその逆ですから 上手くいくか疑問です。
posted by むりー at 13:25| Comment(0) | 戛洒紹介

22天

6月は22日間 雲南に行っていました。久しぶりの長さですが今は中国ビザが簡単にとれるようになり2年のマルチビザも一次観光ビザと同じ手続きで取得出来ましたので 今回22日間ほど行ってきました。
22日も行っていると時間をもてあましたのではないかと思われますが実際はあっという間に時間は経過してしまいました。
一体毎日何をしていたのかよく覚えていません。途中で昆明の廻りを4日間で一回りはしました。
毎日 ぼーっとマンゴーとレイチを食べていました。
1と6の付く日は干女が旦那と子供と共に戛洒の実家に帰ってきますのでその日だけは実家に合いに出かけました。子供も14ケ月になり自分で歩けるようになり母親は目を離せません。
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2007年07月07日

結婚

ご飯を作ってもらっていた家の妹です。13日に結婚します。
相手は隣の鎮の漢族のアンチャンです。婿に来るのですが花腰タイ族の風習を尊重するか疑問です。まだ他の民族の男性ならマイノリティーとしての考え方が理解出来ると思うのですが私が心配しても仕方がありません
妹.jpg
posted by むりー at 16:55| Comment(0) | 戛洒紹介

戛洒に鉄道が出来る?

この頃 中国に関しては驚くような事が常時起きていて驚く事もあまりないのですが 久しぶりに驚く事がありました。
それは戛洒の近くに鉄道が走るようなのです。
今までのニュースでは昆明から玉渓を通り河口−ヘドナムへ向かう鉄道が出来るというのはありました。そしてもう1本 玉渓から景洪を通ってタイへ向かう鉄道の予定もあるようでその予定線路が先日購入した雲南の地図に載っていました。それによると 玉渓から大開門−新平−戛洒−元江−景洪となっていました。もしかしたら戛洒か腰街に火車站が出来るかもしれません。
単純に考えると玉渓から高速道路に沿って線路を作れば良いのですが大開門から元江まではかなり高度差があり、鉄道ではこの高度差では無理だったのでしょう。それで新平を通って迂回し高度差を距離で稼くのだと思います。
なんだか 昆明から戛洒まで鉄路で行けるかもしれないと思うと嬉しい気持ちもありますが車より遅い鉄路ですから 今バスが5時間て行ける距離を1日ぐらいはかかるのではないかと思います。

とにかく驚きました。
雲南地図鉄路.jpg
posted by むりー at 00:00| Comment(0) | 戛洒紹介

2007年07月06日

panoramio へ登録しました

Google Earthに写真を貼り付ける事が出来ます。
戛洒の写真を何枚か貼り付けてみましたのでご覧下さい。
下記はpanoramia のサイトです。当然 Google Earthを起動しても
見られます。

http://www.panoramio.com/map/?user=182869#lt=24.048646&ln=101.581749&z=3

この貼り付けはpanoramiaのサイトで行なうのですが実際にGoogle Earthに貼り付けられるのまで2ケ月ぐらいかかるようです。忘れた頃登録されました。

もし Google Earthでご覧になれない場合は
Google Earthの左サイドバー”レイヤ”内"Geographic web"レイヤーのチェックボックスをオンにして下さい。
posted by むりー at 08:35| Comment(0) | 戛洒紹介

2007年06月26日

また紹介されました。

串寨子という雲南のガイドブックで戛洒が紹介されました。
14ページほどです。
最後は手書きの地図ですが 大雑把です、その内きちんとしたものを書いてみたいとはおもっているのですが。

串寨子表紙.jpg

串寨子1.jpg

串寨子2.jpg
posted by むりー at 20:47| Comment(0) | 戛洒紹介

2007年05月21日

そんなお祭りはありません 2

戛洒の労働節に行われた観光用のお祭は盛況だったようです。
で撥水節は行われたようで 参加した人は汚い水で困ったと言っていました。

戛洒はやはり三千年ほどの歴史があるようで紅河沿いのタイ族は文字が無く仏教の信仰も無いようです。
http://baike.baidu.com/view/96739.htm

今の漢族が現在の場所に移動してきたのは今から4千年ほど前だったらしく、その頃から中原などに住んでいた旧中国人は大雑把に言って南西方面に移動していったようです。先日も NHKで「殷墟」の河南省安陽市を紹介していましたが、迫害されたキョウ族も紹介していましたが彼等が四川省の西部まで逃げなくてはいけないのかと思うと恐ろしさを感じました。

ともかく観光客の誘致に奔走する人民政府です。街全体を観光用の街に作り替えるようです。



posted by むりー at 22:04| Comment(0) | 戛洒紹介

2007年04月21日

そんなお祭りはありません

戛洒のお祭りですが芳しく無い事を聞きました。日本からのツアーに参加される方がおられるかもしれませんので注意していただけたらと思います。

私が行っている戛洒は雲南中部のタイ族の地域です。タイ族も支族があっていろいろなわけですが普通のタイ族と違って仏教の信仰地域ではありません。それだけタイ族としては古い地域にあたりアニミズムがメインです。今まで「花街節」という男女の出会いを目的としたお祭りがあるのですが近年 本来の開催日とは別に春節、労働説、国慶節と観光用に開催されるようになりました。
それはそれで時期からいって本来のお祭りではない事はわかるわけで、日本のツアー会社もやってきていました。

それが今回 労働節に「撥水節」をするそうです。音頭をとっているのは地元の人民政府です。本来の伝統や文化という事ではなくてただ観光客目当てで ありえないお祭りを観光用にあたかも昔からあったように開催するのは騙しとしか思えません。中国ではそれで良いのかもしれませんか 例えば日本からツアーで行くとなると日本の法律が適用されます。参加者には予め 本来存在しない全てが観光用のお祭りである事を事前に告知する必要があると思います。

この告知をしないと法的に問題を起すのではないかと思います。
中国側の説明だからという言い訳は日本からのツアーでは通用しません。旅行会社の方にはその辺りの覚悟をお願いします。
また そういう事例が発生するようになってきましたので参加者もこれからはそのお祭りがどういう内容なのか確認する必要があるように思います。

貧しい地域ですから本来とは別の日程で本来のお祭りと同等のものを開催するのは判りますが存在しないものを開催するのは騙しでしょう。観光の向銭看です。
もう40回近く行きましたが 残念でなりません。地元の文化や信仰という面からも納得がいきません。ついでに書きますと 撥水節をご覧になりたい方は西双版納の水タイ族、徳宏の干タイ族です。
お釈迦様も泣いているのでは
posted by むりー at 12:42| Comment(2) | 戛洒紹介

2007年03月10日

S新聞と農村の観光開発

先日 暇だったので朝刊を見ていたのですが 中国関係の記事だけで1時間では見終わる事は出来ませんでした。

その中で物権法は個人的に多いに関係があります。戛洒の人民政府が鎮の市街地を観光の為に作り直おそうとしています。
先日 大きな説明の為その看板が建ちました。今住んでいる人々はどうなるのでしょう。干女の実家は公園になるようです。家はまだ建てて2年ほどです、
取り壊される時にきちんと建設費に見合った額で補償されるのか極めて心配です。市街地全体を作り直すほどの観光地ではありません。予算的に無理である事ははっきりしています。
そのシワ寄せがまともな補償額にならないように思います。
いくら雲南十大名鎮となっても そんなにお客さんは来ません。
大理や麗江とは違います。もう該当地域では戦々恐々です。
そんな事を考えながら 新聞を読みました。

なんか悪い予感がしないでもありません。
干女の結婚相手は戛洒鎮から離れた村の村委会(村役人)です、場所が違うのですがあこぎな事をすれば関係は絶つ旨は伝えてありますが選挙がありますからそんな事にはならないでしょう。

以前から書いてますが農村の医療の問題と共に政治の話題が雲南の農村でも大きな影響があります。新聞の記事は直接 農村の生活に関係しています。

そしてこれがその看板です。1枚目は看板の裏側で地図は紅河沿いの部分でほとんどタンボですからあまり問題はありません。

次が表側で黄色、赤色、紫色のついている所が市街地でこの市街地全部を作り直すつもりです。干女の実家は公園になってます。既に公園になる予定の土地のほとんどが更地になっていて残っているは干女の実家と隣の二軒だけとなっています。
通常 開発行為は対象になる民間企業があって開発費はそこから出るのが普通ですがこの場合は企業がいませんから人民政府自身が費用を捻出しなくてはなりません。すると当然 壊す建物の補償額がまともな金額になるとは思えません。

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posted by むりー at 14:51| Comment(0) | 戛洒紹介

2007年03月02日

今日から漠沙鎮の花街節

今日から3日間は戛洒の隣の隣の鎮の 漠沙鎮の花街節です。
花腰タイは以前にも書きましたが花腰タイ族の更に支族にあたる

戛洒鎮   イ泰洒
腰街鎮   イ泰(上下)
漠沙鎮   イ泰雅

という支族になります。この中で有名なのが漠沙鎮のイ泰雅です。
よく観光ガイドにはこのイ泰雅の民族衣装が出ています。

下記に以前の花街節の模様を動画で公開しています。下から2番目です。
http://yungui.sakura.ne.jp/n.htm
この頃は以前からある本来の日程のお祭りは、観光用の本物ではないお祭りに活力を奪われあまり活気は残念ながらないようです。本来は農暦の1月13,14,15日が開催日で今日からです。

今朝戛洒の知り合いに電話しましたら この花街節に行っているとの事でしたが 泊まろうした友人宅に既に先客があり泊れず旅社に泊ったが 汚い部屋が100元なので 本日戛洒に帰るそうです。お祭りの日は部屋代が3倍4倍になるようです。
戛洒の花街節は 農暦の2月の最初の丑の日です。3/20?
posted by むりー at 11:47| Comment(0) | 戛洒紹介